2022年1月9日日曜日

憲法短答用のノート:1 憲法上論~2条

 

憲法上論

(通説)8月革命説

帝国憲法73条に基づく改正手続きに則って帝国憲法を改正し、欽定憲法ではなく民定憲法である日本国憲法に変更したという建前になっているが、憲法の改正内容には限界があり、法的連続性があると考えるには無理がある。よって、8月革命という革命があったと考え、連続性を否定しつつ日本国憲法自体は有効に成立していると考える説。

→問題点:上論が無意味な内容となること、ポツダム宣言は天皇主権を終了させる効力はなく(内政干渉との兼ね合い)、国民主権に移行する債務を負ったに過ぎない(この批判は辰巳が使っているが、じゃあ改正時点で革命があったことにすればいいじゃないかと思う。根拠不明。)

 

憲法前文

法規範性はあるが、裁判規範性はない

前文は「日本国憲法」の後に記載されており、形式的に憲法典の一部であるから、憲法の一部として法規範性を肯定する。一方で、直接の裁判規範となりえず、具体性を欠くもので、解釈指針を示したに過ぎない(札高S51/Aug./05/長沼ナイキ控訴審)[1]

→憲法典の一部なので、改正する場合は憲法改正の手続きが必要

→前文で謳われる「平和的生存権」は裁判規範としては採用できない(最判S57/Sep./09/長沼ナイキ上告審)(最判平成1/Jun./20/百里基地)[2]

「主権」3種類

1.       「国家権力としての最高独立性」「対外的独立性」

前文3段落「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」

2.       「国家の統治権」「国家権力そのもの」

ポツダム宣言第8項「日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」

対連合国平和条約1(b)「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」

91項「国権の発動たる戦争」

41条「国会は、国権の最高機関であって」

3.       「国政の最高決定権」

前文1段落「主権が国民に存する」

憲法1条「主権の存する日本国民の総意」

形式的意味の憲法/実質的意味の憲法

形式的意味の憲法→憲法という名前の成文法典(イギリス等には形式的意味の憲法(Constitutional Law)が存在しない)

↑↓

実質的意味の憲法→法形式にかかわらず、国家の組織や作用に関する基本的な規範を指す→国会法や公選法の一部も「形式的意味の憲法」と考えることは「可能」

固有の意味の憲法→国家統治の基本を定めた法としての憲法→政治権力とそれを行使する機関、権力の組織と作用及び相互の関係を規律する規範

立憲的意味の憲法→自由主義に基づいて定められた国家の基本法→国家権力を制限して国民の権利を保障するという思想に基づくもの。近代以降に出現。

硬性憲法/軟性憲法

改正手続きが通常の法律と同じものを軟性憲法といい、通常よりも厳格なものを硬性憲法という。

日本国憲法は56-2/96から改正手続きは一般の法律より厳格であるため、硬性憲法である。また、海外でも硬性憲法が多く、例えばドイツはドイツ基本法79条で改正手続きが定められているが、一般の法律より厳格な手続きが要求される硬性憲法である(硬性憲法だが改正回数は多い。アメリカとかもそう)。軟性憲法の国の例は不文憲法の国が多く、イギリス、イスラエル、NZ等少ない。

 

第一章【天皇】

天皇の裁判権

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることに鑑み、天皇には民事裁判権が及ばない」(最判平成1/Nov./20/記帳所事件)

刑事訴追の可能性については判例、裁判例が存在しないが、およそ許されないと考えてよい

天皇の人権

人間であることから、基本的人権を享有する(←基本的人権の享有主体でないとする説も有力)。少なくとも、学問の自由や表現の自由は一応ある(制約を受ける)が、国籍離脱の自由などは完全にないと解されている。

辰巳の誤り、私の熱意。

天皇の崩御だけが皇位継承の原因と書いているが、そんなことはない(皇室典範4条は「天皇が崩御した際は皇嗣が皇位を継承する」ものであって、崩御以外の原因で継承できないとはどこにも書いていないし、仮にそう解釈すべきであれば上皇陛下は……)



[1] これら政治方針がわが国の政治の運営を目的的に規制するという意味では法的効力を有するといい得るにしても,国民主権代表制民主制と異なり,理念としての平和の内容については,これを具体的かつ特定的に規定しているわけではなく,前記第2,第3項を受けるとみられる第4項の規定に照しても,右平和は崇高な理念ないし目的としての概念にとどまるものであることが明らかであつて,前文中に定める『平和のうちに生存する権利』も裁判規範として,なんら現実的,個別的内容をもつものとして具体化されているものではない

[2] 「平和主義ないし平和的生存権…は,理念ないし目的としての抽象的概念であって,それ自体が独立して,具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえ」ない。

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