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2022年5月9日月曜日

翻案権の侵害について

(言語の著作物の)翻案とは、 既存の著作物に依拠し、かつその表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接するものが既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為。(江差追分事件)

→複製と新たな独立の創作との間の行為である

→原著作物そのものであれば複製であるし、「表現上の本質的な特徴」を直接感得できない程度であれば新たな創作(インスパイア系)である


認定方法:答案上は「2段階テスト」を採用する(理論的にはこちらが正しい流れである上、定型的に処理できる)

原著作物Xの著作物性を認定→(Xの創作的部分を認定)→侵害被疑作品YにXの創作的表現が翻案されているかを判断

判断の際には直接感得性説(島並説)を用い、X作品の創作的表現がY作品に再生されること+Y作品の中でもX作品の本質部分が埋没せず直接感得できることが必要(後者を不要とする創作的表現説(田村説))もあるが、江差追分事件から考えると直接感得性説が有力か)




2022年5月8日日曜日

公表権侵害の認定

 著作権法18条で保障される著作者人格権のひとつ、公表権の侵害について。侵害されたと認定される場合、112条による差止め、民法709条による損害賠償請求、及び115条の名誉回復措置ができる(可能性がある)。


 公表権は未公表である(公表権を侵害してなされた公表はノーカン)の場合に存在し、「公表」とは4条1項から、発行(3条1項)あるいは、著作権者による上演……の方法で公衆に提示された場合を指す。そして、発行(3-1)とは、①その性質に応じ公衆の要求を満たすことのできる相当程度の部数の複製物が、②著作権者または許諾を得た者によって、③作成され、頒布されることをいう。

 答案上はこの「公表」該当性が問題となり、関連する判例として「中田英寿事件」がある。

 中田英寿事件から、答案の流れ


 中田英寿のエピソードをまとめた書籍に、氏がかつて執筆した、学年文集に掲載された文章が掲載されたところ、この文章の公表権が侵害されているとして問題となった。

 <上記公表権の保護~「公表」定義は省略>

 本件において、

 ①文章は「学年文集であり」、当該学校の教諭及び同年度の卒業生全員に対し、300部以上の「相当程度の部数」が

 ③作成されて頒布されており、

 ②氏はこの学年文集に本件文章が掲載されることを承諾していたのであるから、③のような形で公表されることを同意していたということができるから、公表権を侵害しない。


著作権法ー著作物該当性

 著作権法を使う中で、最初に判断することは「著作物該当性」です。著作物に該当しなければ、その後の議論を待たずして適用外となることは当然であり、答案上はあまり争いがないか、結局認められる場合が多い要件ではある一方で、現実世界では「これって著作物?」と聞かれたら詰まってしまうような問題も多いところですから、順を追って著作物該当性を検討してみます。


 著作物該当性は「著作物」の定義(2条1項1号)「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」から、①思想感情、②創作性、③表現性、④学芸性の4要件があるとされています。また、10条1項各号に著作物が例示されていますが、これは類型ごとに特殊な権利が認められる場合に役立ってきます(映画の著作物など)ものであって、ひとまず2条1項1号に該当するかを判断することは重要です。

 なお、10条2項(雑報、時事報道)、10条3項(プログラム言語、規約、解放)は「著作物でない」とし、13条(法令、告示、訓令、通達、判決、決定、命令、公的翻訳物、編集物)は「著作物であるが、権利の目的とならない」とされています。前者(10条)は確認規定とされ、そもそも②創作性要件に欠けるものであって、後者(13条)は国民に広く知らしめる必要性から、意図的に除外したものである。もっとも、この「法令」を分かりやすくまとめ、情報を付加した「判例六法」などは編集著作物である(タウンページ事件も参照のこと)。


 ①思想感情要件

=人間の精神的活動(からくるものであること)

 単なる事実、自然物、人間以外の動物によるもの(サルがスマートフォンを奪って撮った自撮り写真が有名)が除外される。

 近年問題となっているのは、「AIによる創作物」であり、原則これは①要件を満たさないとされる。これは今後議論の余地はあるが、現段階ではこうなっていると納得しておきたい(特に、試験前に気になって考え始めてはいけない)。

 答案戦略上、上記3つに当てはまらなければ気にする要件でもない。当落予想表事件(選挙の当落予想を○△▲の3つで行った当落予想表について、当落予想も人間の知的生産活動の結果であるとして①要件を肯定した)を参照のこと。


②創作性要件

=個性が現れていること

 表現の「優劣」や「価値」「芸術性」は要求されない。幼稚園児の落書きから、超有名芸術家の作品まですべて法のもとに同価値である。なお、データベース、プログラムの著作物の「創作性」=「個性」とは何か?について、これらはむしろ合理化の末没個性的であることが求められる場合すらあるが、書き方やまとめ方に「選択の幅」がある中でその方法を選択したことに創作性を見出す「選択の幅理論」(中山信弘先生の説)が説得的。

 ラストメッセージin最終号事件(雑誌の最終号に載っていた編集部からの挨拶文をまとめた書籍において、その載せられたメッセージに著作物性があるか問題となった。休刊廃刊の告知、感謝やお詫びの念、編集方針の骨子、再発行の予定、同社関連雑誌の宣伝は当然含まれるもので、これをありふれた表現で記載したものは「創作性がない」。一方で、それ以外のメッセージが含まれているようであれば、創作性は肯定されるとした。)を参照のこと。

 版画写真事件(平面の芸術作品を撮影した写真に著作物性(創作性)があるか問題となった。平面の芸術作品について(記録として撮影するに)は正面から撮影する以外に撮影位置は正面以外なく、その他撮影者が何かを付け加えるものではないから、原版を忠実に撮影するものである限り、創作性がない。)も参照のこと。この判例に対して、祇園祭写真事件(祇園祭を撮影した写真について、確かに同じ場所で撮影すれば誰でも同じ作品を作りうるとしても、動きのある祭りをどこでどのように撮るかというところ、そして露光時間やレンズ、フィルムの選択にも撮影者の創作性は現れるから、創作性がある。)との対比も検討のこと。

 

③表現性

=表現アイデア二分論から、「表現」のみを保護する

 昨今、物語の構成が似ているとしてパクリだと問題になることも多いが、これは「アイデア」に過ぎず、著作権法によって保護されるものではない。例えば、我々の世界の飲食店が突然異世界に繋がり、異世界のお客さんにこちらの料理を提供して喜ばれ、交流を深める話という点で同じ異世界居○屋と異世界○堂があっても問題ないし、異世界転生するきっかけがトラックに轢かれがちであっても問題ない。とはいえ、これは程度問題に行き着くものであり、究極的にはキレイに二分できるものでもない。また、続編を作ることも許容される(著作権法上は)。アルセーヌ・ルパンとルパン三世とルパンの娘がいてもいいのである。この点については、scene a faireの理論(ありふれた情景の理論)として取り上げられる場合があり、文芸作品を中心に、「表現」であるとしても、テンプレ描写については保護しないという例外を認めるものである。

 江差追分事件(ノンフィクション小説を原作としたNHKのドキュメンタリーについて、本に依拠してナレーション等を作成したとしても、表現上の本質的な特徴を直接感得できない限り、翻案権の侵害にはならず、また、流れ自体は「アイデア」であるとした)を参照のこと。

 釣りゲーム事件(GREEの釣り★スタとDeNAの釣りゲータウン2について、三重円を魚が動き、中心で押すことで魚を釣るということは「アイデア」であり、三重円を用いることに他の釣りゲームとの差、独自性があるとしても、ダーツや弓道等同心円を的にすること自体はアイデアの範疇であるとした)も参照のこと。

 金魚電話ボックス事件(電話ボックスに水を満たし、金魚を入れた作品と、それを真似した作品について、電話ボックスに水を満たし、金魚を入れることまではアイデアとしたが、受話器を固定しそこから気泡を発生させ(たように見せ)ることには創作性があり、全体として創作性ある芸術作品といえる)も参照のこと。特に釣りゲーム事件と金魚電話ボックス事件をみると、いかにアイデアと表現の分離が困難かが理解できる。電話ボックスに金魚を入れるということ自体が表現でない理由はイマイチ分からない……。創作性は類似性判断の基礎にもなり、本事件でも創作性のある部分についてのみ類似性判断、依拠性判断が行われているから、重要な判断ではある。答案上は「創作性あり」「なし」の判断の是非はともかく、「あり」としたなら類似性判断をし、「なし」としたなら判断しない、という一貫性のほうが重要かと思われる。うっかり判断しがち(2敗)。


④学芸性

=知的・文化的精神活動の所産全般(当落予想表事件)

こじつけでも良いので、大体どれかに当てはまることになる。また、どれに該当したとしても「応用美術」に絡まない限り意味はない。

 ・応用美術

 本ブログでも以前取り上げた「タコの滑り台」判決でも登場した応用美術。この概念は法律上明文で示されたものではないが、判例上、学説上はおおよそ認められているもので、鑑賞性と実用性を同時に兼ね備えているものを指す。対して、純粋に鑑賞するしかないものは「純粋美術」と呼ばれ、一般的な絵画や彫刻などが含まれる。応用美術の範囲は広く、究極的にはどんなものにも鑑賞性を見出すことは可能ともいえる(車や電車、パソコンといった一般人にとってはほぼ実用性の塊のようなものでも、そこに美を見出す人はいる)から、この世のすべての実用品が応用美術といっても過言ではない。

 応用美術を含む実用品は工業デザインを保護する意匠法の管轄であり、原則として著作権法の管轄ではない。一方で、実用性はあるものの、美術品としての扱いがメインとなる一部の陶磁器や宝飾品、のように、著作権法で保護したほうが良いものも存在する。特に、一点モノの壺などはほぼ当然に美術の著作物であると解される。すると、一番問題となるのが「量産品」であってそれなりに「鑑賞性」もある「応用美術」である。

 学説では色々な議論がなされているが、判例では「純粋美術同視説」「分離可能性説」といった考え方が基本となっている。これは、それ自体鑑賞対象として一般的なものを保護し(人形や仏像彫刻など)、それ以外のいわゆるプロダクトデザインは原則排除する結果となる。対して、TRIPP TRAPP事件はこの流れから外れており、「分離可能性説」を否定(実際分離して考えるのは難しいでしょ?という理由)し、保護の対象を広げた。現状この判決だけが浮いているため、答案では知っていることを示しつつも採用する必要まではないと考える。


2022年4月28日木曜日

著作権法ー侵害主体論

著作権法の論文試験において、問題となる箇所は①著作物性、②著作権者(職務著作、共同著作、権利譲渡)、③侵害主体、④侵害と救済、⑤各支分権、⑥著作者人格権、が主だったところかと思います。著作隣接権については実務上重要ではあるものの、学術的に大きな論点が転がっている分野でもないので、学部や法科大学院でもあまり深掘りはされない印象です。

今回は、侵害主体論について簡単に整理します。

著作権法の問題においてはまず①著作物性を認定、あるいは争いますが、結局ここで著作物性なし、としてしまうとそこで議論は終わってしまうので答案上(複数の対象が考えられる場合を除いて)認定しないことはメタ的に可能性が低くなります。なので、例えばブループリントから生成した建築物やそのフィギュアに著作権が及ぶか、といった特殊な場合を除き、割と簡単に認定して終わりということが多いです。ここで引っかかる場合は多くが応用美術か建築関係でしょう。

次に、②著作権者を認定します。ここは既に列挙したように、職務著作、共同著作、権利譲渡があった場合に特に問題となります。他のパターンとしては著作物性が問題となった挙げ句、著作権が更に及ぶかが問題となるブループリントのパターンなどでしょうか。いずれにせよ、重要な論点ではありますが、形式的に処理しやすい論点です。

そして③侵害主体について。これは今回の主題ですので、後述します。

④侵害と救済については、まず侵害があったことを認定します。その際に、⑤各支分権、⑥著作者人格権のどこをどう侵害したのか、ということを丁寧に論じ、②著作権者の①著作物の⑤~~権/⑥~~権を③侵害主体が④侵害したので、④こういった救済が可能という形に流します。本丸はここにあることが多いでしょうし、論点的に比重を置かない場合であっても、必然的に分量は多くなる場所です。

このように、著作権法の答案の流れの中で位置づけられる③侵害主体論は、個人的に特に重要な分野だと考えています。というのも、事案から侵害主体が簡単に特定できない場合があるからです。特に、昨今の通信技術の発展によって侵害主体が誰だかわからなくなるケースが増加しており、若手の研究者が多く、テック系の話題にも明るい(これは偏見かもわかりませんが、少なくとも師事した先生方は比較的お若い先生が多かったです)知財法分野の特性上、狙われる可能性が高いと考えられます。試験対策というメタ視点を離れたとしても、判例も積み重なってきている重要分野であることは間違いありませんので、一度整理したいと思います。


前置きが長くなりましたが、以下侵害主体論についての整理です。

一番シンプルな形は、支分権相当行為を行う者が侵害行為の主体となるものです。演奏した人、コピーした人が対象です。これで処理できない場合が問題で、①手足論、②カラオケ法理、③規範的行為主体/枢要行為論、④間接侵害の4パターンが存在します(枢要行為論は規範的行為主体ではなく物理的行為主体だという説もありますが)。

①手足論

単純な形でいえば、社長が秘書に命じて書籍をコピーさせた場合。これは、秘書が物理的に侵害を行っていますが、秘書はページを指定したわけでもなく、自分のためにコピーしたのでもなく、直接そこから利益を得たのでもありませんから、完全に社長の命令によって社長のために、「手足として」複製行為を行ったといえます。この場合、侵害主体は秘書ではなく社長であるとする、これが手足論です。

②カラオケ法理

クラブキャッツアイ事件以来(物理的な)侵害行為者を手足論で決めることが適切でない場合に適用されてきた理論です。これは、カラオケスナックのように、客が曲を指定し、歌うような場合、直接的な侵害者は当然客であるにも関わらず、全体としてその場を支配し、そこから利益を得ている管理者たるスナック側が侵害者であるとするものです。判断基準はⅠ管理・支配性、Ⅱ営業上の利益の帰属であり、店は雰囲気の醸成による集客効果で営業利益を得ていることから、特に侵害者を店側とすることが適切であると判断したことによります。

③規範的行為主体/枢要行為論

カラオケ法理に長年支配されてきた我が国の侵害主体論ですが、ロクラクⅡ事件を機に枢要行為論が勢力を増しました。

ロクラクⅡ事件の概要:テレビ放送を録画する親機と、親機を遠隔操作し、親機で録画した映像をネット経由で受信して視聴できる子機からなる製品「ロクラクⅡ」という製品があります。親機は事業者から貸与され、事業者の手元でアンテナ線に繋がれ、子機は利用者に貸与または販売され、利用者が操作する、という形で利用するものです。この機器の使用によってテレビ放送を複製したものは誰か、という問題が起きました。この点につき、全体として複製行為を見たとき、複製に必要不可欠な「枢要行為」を行っているのは誰かという観点から、複製の枢要行為は機器にアンテナ線を接続し、テレビ放送波を入力することだと認定して、事業者こそが侵害主体であるとしました。

かなり学説から批判を浴びている理論で、複製の対象やタイミングを指定するのは利用者であるから、それこそが「枢要行為」であるとするあてはめの違いで真逆の方向へ行く考えもあります。答案上はあてはめで真逆にしても大きな問題は無いと思いますので、自分が何を「枢要行為」としたのかさえきちんと書けば良いと思います。

さて、このようにして誕生した枢要行為論ですが、その後もまねきTV事件で踏襲され(ほぼ同時期のため「枢要行為」という言葉は出ていませんし、ロクラクを見て書いたかはわかりませんが)、現在も維持されていると考えられます。結局、カラオケ法理を判例が捨てて枢要行為論に完全に移行したというわけでもなく、枢要行為論はカラオケ法理の拡張であって、Ⅰ管理支配性、Ⅱ利益の帰属というカラオケ法理の判断基準に修正を加え、Ⅰ管理支配性において半分利用者側が管理していたり、まねきTVに至っては完全買い取りなので所有権が利用者にあること、そしてⅡ利益の帰属についても、サービス提供の対価は当然事業者が受領するものの、そこから雰囲気の醸成や集客といったカラオケ法理の依拠した効果は全く生まれません。そんな場合であっても、Ⅲ枢要行為を担っている者こそが侵害主体である、という基準によって、侵害主体を「著作物を楽しむ人」から引き剥がすことが可能であるとしたものであります。

ここまで述べてきた枢要行為論ですが、平成26年(まねきTV事件がH23)に自炊代行事件の判決が下ります。いわゆる電子書籍の自炊、すなわち利用者が紙の本を購入し、代行業者に渡し、業者は断裁のうえスキャンし、利用者にデータをpdf等のファイルとして戻すという行為が行われました。この行為における複製権の侵害者は誰でしょう。

枢要行為論で見てきたところによると、本を選び、買ったのが利用者、複製を実際に行い、(紙のスキャン)データを入力し、ファイルに出力したのは業者、コンテンツを楽しむのは利用者であって、自炊に必要不可欠な行為たる断裁~スキャン~書き出しを行っているのは業者であるから、侵害者は業者といえそうです。しかし、知財高裁は手足論、規範的行為主体論の存在を認めつつも、手足論レベルで事業者が侵害主体であると認めて終わります。原審では枢要行為論にもとづいて判断しているにも関わらず。

これについては「枢要行為論を捨てたか」という見方もできましょうが、どうやらそうではなく、手足論で十分、当然これは事業者が侵害主体だという判断があったからのようです。仮に枢要行為論を採用したとしても、結論に変わりはありませんから、あまり悩まず枢要行為論を取ってしまっても間違いとは言えないと思います。


④間接侵害

まず、間接侵害の条文は特許法と異なり著作権法にはありません。なので、仮に間接侵害を認める場合は112条1項「著作権を侵害する者又は侵害するおそれがある者」の解釈の中に間接侵害者を含めるという類推適用をすることになります。

これについては「ヒットワン事件」と「選撮見録事件」が判例としてあります。

まず、ヒットワン事件とは、スナック等にカラオケ機器をリースする業者に対する販売差止請求を認めたものになります(このリース業者はJASRACと契約していませんでした)。カラオケ法理から、客がその機器を使って歌った場合の侵害者はスナックになることは前述の通りで、本判決も同様の判断をしました。その上で、更に販売を差し止められるか、ということが争点となりました。

というのも、カラオケ機器のリース業者は侵害者ではありませんから、差止請求の対象となる「著作権を侵害する者又は侵害するおそれがある者」でもないことになります。この判決ではその解釈の中に「侵害を幇助するもの」であって、

〔1〕幇助者による幇助行為の内容・性質

〔2〕現に行われている著作権侵害行為に対する幇助者の管理・支配の程度

〔3〕幇助者の利益と著作権侵害行為との結び付き等

を総合して判断して、侵害主体に準じる者として評価できる場合、「著作権を侵害する者又は侵害するおそれがある者」に含まれるという解釈を示しました。(ここでは類推適用ではありません、解釈て含まれるという判断です)


次に、選撮見録事件です。通販番組で昼下がりになんと2台でお値段変わらず売ってそうなネーミングですね、これでよりどりみどりと読みます。こちらは類推適用で処理しました。

これはロクラク等に似た機械ですが、集合住宅に1台の親機を設置、その親機に管理組合などがアンテナ線を接続します。すると、親機は所謂全録をして、各戸に置いた子機でその番組を1週間以内好きなときに呼び出して視聴できる仕組みになっています。この機械を販売した業者に大阪民放5社が差止を求めて訴えたという事件です。TVO(TXN系列)も参加したんですね。大阪ならKBSとかSUNとかWTVあたり映りそうなもんですが、神戸市でもTVOスピルオーバーしてますし。

さて、この事件では、侵害主体につき(変形ですが)ロクラクⅡ、まねきTV事件と同じく親機管理・信号入力者である管理組合としました。これは納得ですね。その上で、利用者は入居者であり、不特定多数、ないし特定多数であるといえますから、親機は公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いて複製する(30-1-1)機器であるとして、送信可能化権を侵害するものであると認定しました(支分権でまとめますが、こうなると私的使用での正当化が不可となります)。

本題の間接侵害論について、当該機器の販売によってほぼ必然的に送信可能化権の侵害は発生することが明らかであり(正常に稼働すれば当然に侵害する)、販売を差し止めることは販売事業者への差止請求を認めるだけなので簡単な一方、利用者や侵害者をすべて特定し差止請求をすることは現実的でない上に、業者は当該機器の販売を差止められるのに対してテレビ番組の全録が導入された団地全てで開始されることによる被侵害利益の比較衡量によって、業者は112-1を類推適用して「著作権を侵害する者又は侵害するおそれがある者(=ここでは管理組合)」と同視できるとして、差止請求を認めました。


結局、この2つの事件は類推適用なのか、それとも「含まれる」とするのかに違いはあれど、ほぼ同様の考えで著作権侵害を必然的に起こす機器の販売を差し止めさせたものになります。実質的な理由としては選撮見録事件にあらわれた「元を叩くのは楽、購入者を叩くのはダルい」ということにあり、その正当化としてこの長々とした理屈が生まれたのだと思います。

ともあれ、差止請求の場合に限って間接侵害類似の考え方が出現するといえましょう。


その他の重要判例として2ch事件など取り上げたいと思いますので、また追記します。

2022年2月24日木曜日

タコ滑り台判決(知財高裁令和3年12月8日/東京地裁令和3年4月28日)

美術手帖を読んでいたら応用美術について見ておいたほうが良さそうな判決が出ていたので整理してみました。アーティスティックな遊具は割と見かけますが、考えてみれば応用美術としても、建築の著作物としても捉えられるいいテーマなのかも。この機会に考えておきましょ。


「本件は,原告が,被告に対し,原告が製作したタコの形状を模した……滑り台が美術の著作物又は建築の著作物に該当し,被告がタコの形状を模した公園の遊具である滑り台2基を製作した行為が,いずれも,原告が有する同目録記載の滑り台に係る著作権(複製権又は翻案権)を侵害すると主張して,主位的に,著作権侵害の不法行為に基づき,……支払を,予備的に,不当利得に基づき,……支払を,それぞれ求める事案である。(太字、下線、中略筆者。以下同様。)」(以下、高裁の判断セクションまでは地裁判決より引用)

原告の製作する「タコの滑り台」は「基本的に,上部にタコの頭部を模した部分を備えている,その中は空洞となっていて,当該部分の下部の踊り場から複数のタコの足が延びている,タコの足は,主にスライダー(滑り台のうち,利用者が滑り降りる部分をいう。)となっており,滑り台の利用者は,いずれかのスライダーを選んで滑り降りることができるといった構造を有している。なお,タコの足が階段をなしているものもある。」

<原告の主張>

この「タコの滑り台」は「抽象形態の中に,空洞部等の神秘的な空間を設け,さらに頭部を付加して,抽象性と具体性を内包した彫刻として,子どもたちに形の美しさ,不思議さ,楽しさ等を体感してもらうために創作されたものであって,Bが,彫刻家としての思想,感情を創作的に表現したものである。」(Bは原告の前身となる会社に勤務していた彫刻家)

その他、原告は「タコの滑り台」について大変熱く語っているが、その部分は判例を参照いただきたいが、とにかく滑り台であること以上に独創的な芸術品であると語っている。それを踏まえた上で、著作権法的に重要な部分は以下の通り。

①(美術の著作物)本件原告滑り台が応用美術に属するものであるとしても,一品製作品というべきものであり,「美術工芸品」(著作権法2条2項)に当たるから,「美術の著作物」(同法10条1項4号)に含まれる。

②(美術の著作物)本件原告滑り台が「美術工芸品」に当たらないとしても,「美術工芸品」以外の応用美術が「美術の著作物」に該当するか否かの判断基準として,「美的」という観点から高い創作性を必要とすると解するのは相当ではなく,個別具体的に,作成者の個性が発揮されているか否かを基準として判断するべきである。(本件滑り台においては、滑り台としての最低限の機能を果たす階段とスライダーがあれば足りるのであって、そのスライダーの形状がタコの足の形をしているとか、頭部にあたる空洞が存在するとか、必然的とはいえない部分が存在するので、独立して創造的な部分があるとする)

③(美術の著作物)純粋美術同視説をとるとしても、原告「タコの滑り台」は前述のように創作性の程度が非常に高いため、「純粋美術と同視し得る程度の美的創作性を具備していると評価される」。

④(建築の著作物)「本件原告滑り台のような彫刻としての性質を有する遊具の著作物性については,客観的,外形的に見て,それが滑り台において通常加味される程度の美的創作性を上回り,滑り台としての実用性や機能性とは別に,独立して美的鑑賞の対象となり,彫刻家・設計者の思想又は感情といった文化的精神性を感得せしめるような造形芸術としての美術性を備えているか否かという基準により,判断すべき」

「本件原告滑り台は,滑り台の機能とは独立した形態的特徴を有しており,通常,滑り台に施される美的創作性と比べて,はるかに美的創作性の程度が高い。したがって,本件原告滑り台それ自体がモニュメント彫刻として美的鑑賞の対象となり,設計者の思想又は感情といった文化的精神性を感得せしめるような造形美術としての美術性を備えている」

 

<被告の主張>

(建築の著作物)「原告が主張する判断枠組みを前提にしても,前記ア(被告の主張)のとおり,本件原告滑り台の機能ないし特徴は,多人数が同時に遊べ,スライダーを複数有しており,頭部に隠れて遊ぶことができる空間があるといった点にあり,本件原告滑り台は,こうした遊具としての実用性や機能性とは別に,独立して美的鑑賞の対象となり得るとは考えられないし,設計者の思想又は感情といった文化的精神性を感得せしめるような造形芸術としての美術性を備えたものとはいえない」

 

<その他>

複製権侵害や翻案権侵害、著作権譲渡、職務著作といった論点でも争っているが、そもそも本件滑り台が著作物であるかがその大前提となっており、本判例において注目すべき点であるため、省略する。

 

<東京地裁の判断(東京地裁R3/Apr./28)

①(美術の著作物)「(遊具である滑り台として通常有する構造を備えている)本件原告滑り台は,利用者が滑り台として遊ぶなど,公園に設置され,遊具として用いられることを前提に製作されたものであると認められる。したがって,本件原告滑り台は,一般的な芸術作品等と同様の展示等を目的とするものではなく,遊具としての実用に供されることを目的とするもの……」

「実用に供され,あるいは産業上利用されることが予定されている美的創作物(いわゆる応用美術)が,著作権法2条1項1号の「美術」「の範囲に属するもの」として著作物性を有するかについて……応用美術と同様に実用に供されるという性質を有する印刷用書体に関し,それ自体が美術鑑賞の対象となり得る美的特性を備えることを要件の一つとして挙げた上で,同法2条1項1号の著作物に該当し得るとした最高裁判決(最高裁平成10年(受)第332号同12年9月7日第一小法廷判決・民集54巻7号2481頁)の判示に照らし,同条2項は,単なる例示規定と解すべき……同判決が,実用的機能の観点から見た美しさがあれば足りるとすると,文化の発展に寄与しようとする著作権法の目的に反することになる旨説示していることに照らせば,応用美術のうち,「美術工芸品」以外のものであっても,実用目的を達成するために必要な機能に係る構成と分離して,美術鑑賞の対象となり得る美的特性を備えている部分を把握できるものについては,「美術」「の範囲に属するもの」(同法2条1項1号)である「美術の著作物」(同法10条1項4号)として,保護され得ると解するのが相当」

「(美術工芸品であるとの原告主張に対して)本件原告滑り台は,自治体の発注に基づき,遊具として製作されたものであり,主として,遊具として利用者である子どもたちに遊びの場を提供するという目的を有する物品であって,「絵画,版画,彫刻」のように主として鑑賞を目的とするものであるとまでは認められない」

「(応用美術として保護されるとの原告主張に対して)実用目的を達成するために必要な機能に係る構成と分離して,美術鑑賞の対象となり得る美的特性を備えている部分を把握できるものであるか否かについて,……(タコの頭部について)本件原告滑り台の中でも最も高い箇所に設置されているのであるから,同部分に設置された上記各開口部は,滑り降りるためのスライダー等を同部分に接続するために不可欠な構造であって,滑り台としての実用目的に必要な構成そのものであるといえる。また,上記空洞は,同部分に上った利用者が,上記各開口部及びスライダーに移動するために不可欠な構造である上,開口部を除く周囲が囲まれた構造であることによって,最も高い箇所にある踊り場様の床から利用者が落下することを防止する機能を有するといえるし,それのみならず,周囲が囲まれているという構造を利用して,隠れん坊の要領で遊ぶことなどを可能にしているとも考えられる。そうすると,本件原告滑り台のうち,タコの頭部を模した部分は,総じて,滑り台の遊具としての利用と強く結びついているものというべきであるから,実用目的を達成するために必要な機能に係る構成と分離して,美的鑑賞の対象となり得る美的特性を備えている部分を把握できるものとは認められない。」

以下、足部分や全体の形状について分離して美術鑑賞の対象となりうる美的特性を備えているとまではいえないから、応用美術とは言えないことを細かく認定している。

なお、原告が言う、滑り台としての最低限の機能を超えた独創的な部分は必然的な表現ではない(から、滑り台の機能から独立して存在する美的特徴がある)という主張に対しては「ある製作物が「美術の著作物」たる応用美術に該当するか否かに当たって考慮すべき実用目的及び機能は,当該製作物が現に実用に供されている具体的な用途を前提として把握すべきであって,製作物の種類により形式的にその目的及び機能を把握するべきではない」

「また、原告の上記主張は……著作物性(著作権法2条1項1号)の要件のうち,「思想又は感情を創作的に表現したもの」との要件に係るものであって,「美術」「の範囲に属するもの」との要件に係るものではない」

②(建築の著作物)「著作権法においては……「建築」についての定義は置かれていない……(建築基準法等から解釈すると)土地に定着する工作物のうち,屋根及び柱若しくは壁を有するもの……本件原告滑り台も,屋根及び柱又は壁を有するものに類する構造のものと認めることができ,かつ,これが著作権法上の「建築」に含まれるとしても,文化の発展に寄与するという目的と齟齬するものではないといえる。そうすると,本件原告滑り台は同法上の「建築」に該当すると解することができる。」

「「建築」に該当するとしても,その「建築の著作物」(著作権法10条1項5号)としての著作物性については,「文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」(同法2条1項1号)か否か,すなわち,同法で保護され得る建築美術であるか否かを検討する必要がある。具体的には,「建築の著作物」が,実用に供されることが予定されている創作物であり,その中には美的な要素を有するものも存在するという点で,応用美術に類する……その著作物性の判断は……(①と同様の基準が相当)」

 

<控訴審の判断(知財高裁R3/Dec./8)>

①(美術の著作物)「応用美術には,一品製作の美術工芸品と量産される量産品が含まれるところ,著作権法は,同法にいう「美術の著作物」には,美術工芸品を含むものとする(同法2条2項)と定めているが,美術工芸品以外の応用美術については特段の規定は存在しない。上記同条1項1号の著作物の定義規定に鑑みれば,美的鑑賞の対象となり得るものであって,思想又は感情を創作的に表現したものであれば,美術の著作物に含まれると解するのが自然であるから,同条2項は,美術工芸品が美術の著作物として保護されることを例示した規定であると解される。他方で,応用美術のうち,美術工芸品以外の量産品について,美的鑑賞の対象となり得るというだけで一律に美術の著作物として保護されることになると,実用的な物品の機能を実現するために必要な形状等の構成についても著作権で保護されることになり,当該物品の形状等の利用を過度に制約し,将来の創作活動を阻害することになって,妥当でない。もっとも,このような物品の形状等であっても,視覚を通じて美感を起こさせるものについては,意匠として意匠法によって保護されることが否定されるものではない。これらを踏まえると,応用美術のうち,美術工芸品以外のものであっても,実用目的を達成するために必要な機能に係る構成と分離して,美的鑑賞の対象となり得る美的特性である創作的表現を備えている部分を把握できるものについては,当該部分を含む作品全体が美術の著作物として,保護され得ると解するのが相当」

「(タコの頭部について)本件原告滑り台のタコの頭部を模した部分のうち,上記天蓋部分については,滑り台としての実用目的を達成するために必要な機能に係る構成と分離して把握できるものであるといえる」(←地裁と異なる認定をしているが)「(天蓋部分は)頭頂部から後部に向かってやや傾いた略半球状であり,タコの頭部をも連想させるものではあるが,その形状自体は単純なものであり,タコの頭部の形状としても,ありふれたものである。したがって,上記天蓋部分は,美的特性である創作的表現を備えているものとは認められない」